昭和42年04月02日 夜の御理解



 今日、午前中、奉仕をさせて頂いた時、若先生が、こんなものを、私が何か、神様に頂いた事をちょっと控えておいたものが、どこかあちらに紛れ込んで行っとった。私は、それを、これは、要りなさるとじゃないですかと云ってから、持って来てくれたんです。それを、控えておったのを見たんですけれど、なかなか、神様に頂いた事と云うのは、理解が難しいのですよね。
 けれども、今日、色々な事から、色々、分からせて頂いたのですけれども、それにこう云う事が書いてある。孝は「しんおう」に神孝行は神を生むと云う事である。孝は信心の信という字を書いとるけども、これは、信は真と云う字の様であるですね。孝はだから、真を生むと云う事になるだろうと思います。孝は真を生み、神孝行は神を生む。よく、お互いが、神を現すと云う事を申しますよね。
 神様を現して行かなければならない、と云う事は、私どもが実際におかげを受けて行かなければならない。私どもがおかげを受けて行くと云う事は、そのまま神様を現して行く事なんですよ。私は、この孝は真を生むと云う事、次に教えに忠実なれば、真を育てと、親に孝なれば、真を生むと、神孝行は神が生まれると云った様な事を、次に書いてあります。ですから私どもがその思うんですが。
 今日も三時から田主丸のむつやの、石井さんのお母さんですね。石井きよ子さんの御霊さんの五年の式年祭が、ここでございました。みんな子供達が集まりましてから、ここで真心からのその、お祭りでございましたですね。娘の文香さんがおそらく、作ったであろうと思われる色んなまあ、生前お母さんが好きであったと云った様なものを色々作って、お供えにしてございましたが。
 これなんかは、私は矢張りあの子供が親に孝行すると云う事は、これは純粋な真だと思うですね。これはあのよその親にするとならば、まあ形だけそんな風だけをしておると云う様に云われるかも知れんけれども、自分の親にする時だけはこれはもう間違いなしに、私は真だと思いますよね。親が喜ぶ事の為に子供が親に真を尽くす。成る程親孝行と云う事は、この信心の一番大切な真を育てる事になる、真を生む事になる。
 ですからその真をです拝むばかりではなくてです、誰にでも、その真が使えれる様に、もちろん神様の前にも、真が、愈々、仕えさせて頂く様に、その真が育って行かなければならない。子供が親に仕える時に、真になるものはないだろうが。その真を、ただ、親だけではなくて、誰にも彼にも、その真が仕えれる様になる為に、その真を育てて行かなければならない。
 そこにその教えに忠実なれば、真を育てて行くになるのじゃないだろうか。教祖の神様の御教えに忠実であると云う事はです、その真をだから真そのものを、いっちょなからないかん。親に仕える子供の心というのもそのまま真であるとするならば、そういう心を人にも使えれる神様にも使えれる。どう云う事にでもその真を使えれるその為に、その真を育てて行くためにお互いが御教えに忠実にならなければならない。
 御教えを本気で行じなければならないと云う事になるのですね。神孝行は神が生まれると云う事は、確かにそうだとこう思うですね。神孝行は神信心とは云うておられずに、神孝行と仰る。いわゆる親孝行は真が生まれる。神孝行は神を神が生まれると仰る。と言う事は神を現すと云う事だとこう思うんです。神様にお喜び頂ける様な奉仕や、親に仕える様な気持ちで、神様に奉仕をする。神様に仕える。
 そういう例話と云うのは沢山ございますが。私どもにもそんな事は幾らもあるんですが、あのどこかの女の先生が大変寒い日ですね。御結界に座ってあるところがもう兎に角そのもう座っておられん位に寒かった。そん時にその思われたんですね。ああほんに寒いが神様も又お寒うあろうとこう思うたんです。神様はお寒うありなさろうとこう思われたから、もう矢も盾もたまらずそのまま裏に行かれて箪笥の中から。
 真新しいその綿を出されました。御神殿を開かれてそして御神璽を真綿でくくられた、包まれたと言う訳です。いわゆるその神様の前に神に矢張りあの、孝行の心がそう云う風な形で現れた訳なんです。それ以来その先生は冬に御結界奉仕しておって、寒いと云う様な事のないおかげ、お徳を受けられたと云う話でございます。それはもう神様を生みなしておられるのであり神様を現しておられる訳なんです。神様にそういう様な働きがあるという事をです。私共の真で神様を現していくと云うのです。
 だから神様に孝行神孝行は確かに、神様が生まれなされるのであり、神様を現す事が出来る。私どもが親に孝行するまあ子供が親に接する場合は、嘘の事を表現をしないやっぱ心から親が喜ぶ様に、親がちっとでも良い様にとか楽になる様にと云う、その気持ちが親孝行である。それが真であるだから親だけではなくて、それを誰彼の上にでも仕えれる為にです。その真を育てていかにゃいかん。それには教祖の御教えに忠実にならなければならないという事になる訳ですね。
   どうぞ。